九 王宮陰謀劇Ⅲ
八 王宮陰謀劇Ⅱ へ飛ぶ 高等法院の新院長は、長いあごひげを手でくねらせながら告げた。
「女王陛下の密通は大罪ですぞ」
まして未婚の、うら若いアンリエッタだった。乙女でいればいくらでも政治の道具になりうるところを、私情で処女を散らせたとなれば、その責は重い。
「よって、才人どのは拘束。今日から塔牢で沙汰あるまで過ごしていただきます」
アンリエッタには言葉もない。
いくらでも権限を振り回すことはできる。才人を解放させることもたやすい。しかし、実直が美徳のこの法院長は、かならずやアンリエッタをするどく断罪するだろう。たとえ院長の職を失くし、暗殺されることになっても。
そういうところが気に入って、この職につけたのだ。前任のリッシュモンが汚職まみれだった頃から考えれば、法院はおそろしいほど清廉潔白になった。それはみな、この新院長の力なのだ。
だが、こんなところで裏目に出るとは思わなかった。
「リッシュモンなら、金を払ってうやむやにすることもできましたが、この男相手には通用しないでしょうな」
マザリーニ卿もため息をついた。
「意見のあるものは挙手を。勝手な私語は慎むように」
聞きとがめて、新院長はマザリーニ卿をするどくにらむ。
「あー、よろしいですかな、院長」
マザリーニ卿は申し訳なさそうに手を挙げる。
「あのとき、才人どのは特別な作戦中にありました。いま、陛下の御身には特別な呪いがふりかけられております。かけた相手は――」
「マザリーニ卿!」
答弁はアンリエッタの叫びで中断させられた。
「陛下、静粛に」
かんかん、と木槌をたたきながら、院長が諌める。
「申し訳ありません」
アンリエッタはそわそわと落ち着きなく後ろを振り返った。
そこには黒衣のルイズがいた。椅子に腰掛け、まっすぐにアンリエッタをにらんでいる。
「……あー、とにかくですな、勝手な出入りは禁じておりました。それを破った闖入者を、まずは拘束していただきたい」
マザリーニ卿が差し出した書類には、アンリエッタの名であの時間帯の封鎖を命じるよう書き付けてあった。
「異議あり、院長」
かん高い声が背後からかけられる。ルイズが手を挙げていた。
「私は陛下づきの女官であり、さまざまな例外特権をお認めいただいております。あのときも、陛下の御身に危険が及んでいると判断いたしました。陛下もまだ若い女人なれば、シュヴァリエの英雄にくらりときてしまうこともおさおさ責められませぬ」
なめらかな弁舌だった。しかし、声は底冷えするような響きで威圧オーラをびんびんに放っている。
「……ルイズ、怒ってんなぁ……」
才人が横でこっそりため息をついたのが、アンリエッタの耳にも届いた。
「それが罠だと申しておるのですぞ」
マザリーニ卿も負けてはいない。
「陛下はあのとき、私めとアニエス殿とともに密談を交わしておりました。あの場にいたのはニセモノ、スキルニルでつくった幻にほかなりません」
「異議あり、私はあらゆる魔法を無効化する魔法を扱えます。あのとき才人のそばにいた女性にかけたディスペルで姿をあらわしたのが、スキルニルの人型などではなく、情交のあともなまなましい陛下ご自身であらせられました」
「異議あり、すべてミス・ヴァリエールの自作自演です! 魔法を無効化する魔法など、四系統のどれにもありませんぞ! ミス・ヴァリエールは白百合の玉座におわす陛下への嫉妬のあまり、陛下を侮辱するたばかりごとを申しておるのです!」
「もうよろしい。双方、静粛に」
院長は木槌を音高く鳴らした。
ぴりぴりと、緊張した空気が部屋に満ちていた。
「では、証人を呼びましょう」
入室してきたのは、三人のメイドだった。
「おとといの晩、夜遅くに陛下のもとへご来客がございました」
「それは才人・シュヴァリエ・ド・ヒラガ殿で間違いありませんね?」
「ええ、間違いありません」
「――次」
次に入室してきたのは、貴族らしき男だった。
「私は兵団新設に携わっておりましたが、しばしばそのあり方に疑問を覚えることがございました」
「というと?」
「ある特定の人物にだけ、待遇が手厚いのではないかと――破格の年俸、規定の身分制を飛び越えた出世、慣例に背いた陛下との『親密な』おつきあい、その人物と親しいもので固められた水精霊騎士団――」
「その特定の人物とは、才人殿で相違ありませんね?」
「はい、そうです」
「異議あり、しかし才人殿は実績をあげておりますわ!」
「――異議はみとめません。次、陛下づきのメイド、ケイ、入室しなさい」
***
「――処女膜検査だと!?」
アニエスは今にも卒倒しそうだった。ぶるぶると震える手で剣をつかむ。
「ええい、いまいましい! 才人、今すぐ死ね!」
「そんな無茶ですアニエスさ――うわあぁ!」
塔牢へ護送される途中の才人に襲いかかるアンリエッタのわきで、アンリエッタは顔を蒼白にしていた。
――処女膜が無事ならよし、もし破れていればトリステインの王族と結婚されよ。
それが院長の宣告だった。
「そんな検査、断じて受けさせるわけにいきません!」
「さよう。陛下の御名に傷がつきます。たとえ陛下が清らかな乙女であったとしても、下々に陛下のおからだを晒すわけにはいきません」
いきり立つアニエスを、マザリーニ卿が受けた。
「となれば、そもそも結婚しか選択肢がないというわけですな。――本来、婚姻後の王族の女性の密通は死罪と決まっておりますが、陛下はさいわいまだ未婚」
「なにも、才人と結婚すれば済む話ではありませんか! こんなやつに陛下をくれてやるのはまったく、ちっとも、ぜんぜん納得がいきませんが! おい立て才人! 向こう三日は立てなくしてやる!」
その言葉に、アンリエッタはかあっと顔を赤くする。――結婚。結婚ですって? わたくしが? 才人どのと?
なりませぬ、とマザリーニ卿。
「才人どのは貴族の生まれでもなんでもないのですぞ。トリステインの国民ですらない。問題外ですな」
――ルイズを裏切ったばかりか、あの子の思いびとすら奪おうというの?
甘い結婚生活をほんのいっときでも夢想した自分が腹立たしい。アンリエッタは自己嫌悪でいっぱいだった。
「それに、ミス・ヴァリエールを刺激するのはよくない。今攻撃が止んでいるのは彼女がおもて舞台に姿を現したからでしょうが、才人どのが陛下と結婚すれば、もろとも自爆することだって考えられましょうぞ」
「でもあれは、ニセモノでしょう?」
そうであってほしい、と強く思った。
「しかし、彼女しか使えないはずの魔法を使っていることは事実ですな」
「……どうなっているのでしょう……」
「わかりませんが、何かの陰謀が動いているようですな」
マザリーニ卿は、遠くを見つめて言った。
「おそらく娶わせる相手は、ロマリア教皇の息のかかった貴族でしょう。婚姻関係を以て、このトリステインを裏から操る謀略だと考えられますな」
アンリエッタはうつろな表情で聞き流しながら、ただルイズのことを考えていた。
――ルイズ、わたくしのルイズ。ほんとうに、わたくしを裏切ってしまったの?
――なにをおっしゃるんですか、先に私を裏切ったのは姫さまのほうでしょう?
脳内で責め立てるルイズの声が響く。
苦しくて、アンリエッタは助けを目で追い求めた。
才人は半死の身体をかつぎあげられ、塔牢へ運ばれるところだった。
十 王宮陰謀劇Ⅳ へ飛ぶ(未完)十一 テファニア へ飛ぶ
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