一 プロローグ
「何があったんだよ」
才人はテントの側にしつらえた焚き火の具合を見てから、傍らの剣に話しかけた(心なしか刀身が曲がりくねっていて、さやから抜くのに苦労した)。
「何でこんな夜中に、いきなり追い出されなきゃならないんだよ、俺ら」
ルイズと一緒のベッドでお手手つないで眠っていたら、急にたたき起こされ、追い出されたのだ。
「わかんね」
デルフリンガーはそっけない。
「ウソつけ。またルイズに変なこと吹き込んだんだろ」
歌って踊るインテリジェンスソードのデルフリンガーは、六千年を生きているせいか、悪巧みだけは妙にうまい。
「バカ言え。こないだのアレ、けっこう喜んでたくせに」
「あ、あれはまあ……」
才人は桃色の髪にちょこんと黒猫の耳を乗せたルイズの姿を思い出す。肉づきの薄い腹部に縦長にひらいたヘソの切り口。またそれが凶悪に細い腰の、いちばん高い位置にのぞけていること。細くはかなげな肩から鎖骨にかけてのライン、さらにその下のごくゆるやかなカーブ。胸の、うっすらとした脂肪の付き具合。触ればかすかに指先が埋まるのではないか、それはそれでたいへん結構な質感なのではないかというほどの、匂い立つような甘酸っぱさの、いけない小胸があんな小さな毛皮で圧迫されて上や下へとふっくらはみ出ているのはたしかに――
「いいもの見させて――戴きましたッ」
「だろう?」
なぜかデルフリンガーは誇らしげに言い、話はそれでうやむやになってしまった。脳内デートに旅立った才人をよそに、デルフリンガーは唸る。
「さて、どうしたもんかね」
話はほんの少し遡る。
その日ルイズは、どうしても眠れないでいた。
寝返りをうてば、右手に才人が横たわっている。使い魔の少年は健やかな寝息を立ててルイズの毛布の端の方にくるまっていた。
もっとこっちに来ればいいのに、と心のうちで呟いてから、ルイズは即座にそのモノローグを"なかった"ことにした。この使い魔ときたら図々しくも私の布団を三分の一ほども占領しているじゃないの。もっと恐縮したらどうなのよ。そんなにひっぱったら私が布団からはみ出るじゃない、はみ出たら風邪引いちゃうじゃない。
だ、だだだから、もうちょっと、こっちに。
思い余って、ルイズは毛布の縁取りを噛みしめた。
……ラ・ヴァリエール家の刺繍糸は、おいしくなかった。丹念に編み込まれすぎていて、硬いし、痛いのである。息を呑むほど美しい表の刺繍を支えるために、裏側は留め跡とあまりの糸くずの束でいびつに膨れているのだ。
ルイズはいくらもしないうちに噛むのをやめた。ストレスフルな犬そっくりだと、我ながら思ったからだ。そのようなはしたない真似は、公爵家の三女に許されるものではない。
はしたない真似。罪深い行為。
じゃあ、これは? ルイズ・フランソワーズ・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。エンゲージリングも賜らない身で、婚約者でもない男と同衾して、恥ずかしいと思わないの? 黒髪のメイドが冷たく見下す姿が目に浮かぶ。――いやらしいこと。
いやらしくないもん才人は使い魔だもん! 使い魔なんてぜんぜん眼中にないんだもん!
手足をじたばたさせるルイズの動きが微妙に伝わったのか、才人はううん、と唸った。口を半開きにして寝こけていたと思ったら、急に眉間に皺を寄せ、気難しそうに口をへの字に曲げてしまった。なにやらむにゃむにゃと、うわごとを呟いてすらいる。
「うぅ……デルフ……」
戦場の夢でも見ているのだろうか。才人は相棒の喋る剣の名を呼び、体を不規則に引きつらせ始めた。夢の中で、何かに怯えて身構えているようだった。戦場には恐ろしいものが沢山ある。敵、流血、痛み、死体、魔法の光。どれもが神経を尖らせて、長い長い間人の心をかき乱すほどのインパクトを持っている。
才人だけじゃない、ルイズだって怖かった。
だからルイズは、とっさに才人の手を握った。
勘違いしないでよね、別にこのバカ犬が、何にうなされようが知ったことじゃないんだけど。つられて私までやなこと思い出したら嫌なんだもん。ああもう、だいたいほんとは立場が逆なのよ。ご主人様が大任をこなして疲れてるっていうのにこのバカときたら自分のことで手一杯じゃないの。ちょっとは慰めるとかしてくれたっていいじゃない。そういうのって、男の子の仕事じゃない。才人にぎゅって抱きしめてもらえれば今日だってきっとぐっすり――
ルイズは枕に向かって顔面を激しく打ちつけた。
ちっとも痛くなかった。ルイズの枕は小鳥からしか取れない特別な羽毛が詰まっている。
「おうおう。暴れてんなァ、娘ッ子」
と。横手からかかった声は、デルフリンガーのものだった。どうやら今の奇行を見ていたらしい。ルイズは八つ当たり気味に睨み付けた。埃っぽさにこふこふと咳があふれる喉を鳴らして、ぶっきらぼうに言う。
「なによ」
「なんだよ、そう邪険にすんなって。眠れねぇんだろ? 相棒が気になるか?」
「うるさいわね。ただのストレッチよ」
「……枕カバーを力の限りねじりあげるのかが?」
お黙りなさい、と喉まで出かかった。耐えたのは、いまこの場で才人に目を覚まされては非常に非常に気まずいという思いが勝ったからだった。代わりにルイズは"つーん!"と音が聞こえそうなほどわざとらしく、そっぽを向いた。
「は、ぶんむくれてやがる。……それだから相棒に見向きもされないんだろうに……」
ルイズはまたかっと頭に血が上るのを感じた。たしかに今のはいけなかった。お世辞にも誤魔化せたとは言えない。逆に恥の上塗りをしてしまった。それも大変な恥辱である。淑やかであれという教えに、まだ子供だから、という理由で背きつづけてきた三人姉妹の末の甘えん坊には、幼児化する以外にうまく場を執り成す方法が思いつけないのだ。
ルイズはほとんど意地で、声を絞り出した。
「才人なんか、興味ないもん。あんなのただの使い魔だもん」
「だったら、メイドにくれてやりゃあいいじゃねえか」
「才人はわたしの使い魔だもん!」
「『お前さんの使い魔だから』だよ。不出来な使い魔ですが、どうぞよしなに、とでも言って、熨斗つけてくれてやれ。その方がずっとカッコいいぞ」
「そんなのダメなんだもん!」
「なんでだよ」
痛いところをつかれた。
「つ、使い魔は、ご主人様のことを一番に考えなきゃいけないから、だから」
「つまり、不安なのか。メイドが一番になられちゃ困ると思ってるんだろう。自分に魅力が足りてないってことは自覚してるわけだ」
誰が、あんな胸が大きいだけの平民なんかに!
とは、さすがのルイズも言えなかった。
「なあ。どうして一番になられたら困るんだ? 才人は今でもよくお前さんに尽くしてる。恋人のひとりやふたりできたところで、たぶんそれは変わらねえよ。むしろ余計にリスペクトするんじゃねえのか? こいつは俺のことをちゃんと考えてくれてる! ってな」
「どうかしらね。このバカ、えるいことになると目の色変えて執着するじゃない」
「……そこがわかんねェんだよなあ……」
デルフリンガーは器用に困ったような声を作ってみせた。どうやって喋っているのか分からないが、芸達者なことである。
「それはそれ、これはこれだろ。ご主人様への忠誠とやらと、恋人への思いは、そもそも別の次元の話だ。なんでそこを一緒くたにするんだよ」
いよいよ痛いところをつかれて、ルイズはむむむ、と口を歪ませた。
「本当は相棒に好かれたいんじゃねえのか? ご主人様としてじゃなく、恋人としてだ。今日だって本当は、おやすみのキスかなんかが欲しかったんだろ? そんでもってあわよくばそれ以上――」
「違うもん!」
怒鳴ってから、血の気が引いた。これでは才人が起きてしまう。何の話だと聞かれたら、舌を噛んで死ねる自信がある。――ルイズのプライドは何にも勝る。
ルイズはなんだか胸が詰まってしまった。横向きになったり、上を向いたりしているうちに、とうとう、目頭から涙が膨れてこぼれた。こすってもこすっても、次から次に指を濡らす。
「あーあー。ちょいとイジメすぎたか。……悪かったよ」
「う、うるさっ、あ、あんた、ただじゃ済まさないからねっ」
ルイズは声も出さずにしゃくりあげる。間が持たなくなったのか、デルフリンガーはそういえば、と前置きをした。
「よく眠れるいい案があるんだが、詫び代わりに聞いてくれよ。な?」
ルイズは涙をいっぱいに湛えた瞳を壁に向けたまま、振り返りすらしなかった。
「斬った張ったなんてやってるとな、人間どうしても心のバランスを狂わせがちなんだよ。まず神経が興奮する。すると睡眠が覚束なくなる。眠れなくなると、判断力が落ちる。するとまた辛い目に遭う。――このスパイラル現象を断ち切るにはな、まず落ち着いて、安らかに眠るってことが大事なんだよ」
それってつまり、とルイズは思った。ルイズの安眠を妨害しているのは、間違いなくこの不肖の使い魔である。
「そこで提案なんだが」
要するに責任をもって、寝る前にきちんと、う、腕枕とか、キスとか、させるべきだってこと? やだぁ、そんなのって……
「娘ッ子。お前さん、自分を指で慰めたことはあるかい?」
爆発と、何かが瓦解する大音声に驚いて才人が目覚めると、そこには、普段のしぐさと細腕からは想像もつかないような剛力でインテリジェンスソードの刀身をぎりぎりとイナバウアーさせているルイズと、まさにこの世から魂が離脱する数秒前といったか細さで力なく絶叫しているデルフリンガーの姿があった。
こんな汚らわしい剣は即刻廃棄にしてやる、止めてくれるな、と喚くルイズをどうにかなだめるまでに、才人は一桁では済まない数のエクスプロージョンを、紙一重で、交わした。
命がけだった。
二 ルイズとシエスタ へ飛ぶZEROのつかいま 目次ページ へ飛ぶ
- 関連記事
-
Information